和歌山県・那智山の青岸渡寺は、西国三十三所巡礼の第一番札所として知られる古刹。朱塗りの三重塔と那智の滝が織りなす景観は訪れる人々を魅了し、熊野三山(熊野本宮大社・那智大社・速玉大社)とともに世界遺産に登録された外せない名所です。
2025.10.17青岸渡寺
青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県那智山にある天台宗の古刹。西国三十三所巡礼の第一番札所として知られています。
仁徳天皇(4世紀)の時代、インドから渡来した僧・裸形上人が那智の滝の滝壺から観音像を見つけ出し、庵を結んだのが青岸渡寺の始まりと伝わります。ここでは、明治初期(19世紀)の神仏分離まで、隣接する熊野那智大社とともに、那智の滝を信仰の中心とする神仏習合の修験道場であった名残りを見ることができ、現在も参詣者が絶え間なく訪れています。
青岸渡寺の見どころの一つが、寺院の中に堂々とそびえる朱塗りの三重塔です。鮮やかな朱色は、重なり合う深緑の山々の中でひときわ目を引きます。その隣を勢いよく流れ落ちる那智の滝の、白く清らかな水流と山々の緑が織りなす景色は壮麗で生命力にあふれ、訪れる旅人にとって絶好のフォトスポットとなっています。

現在の本堂(如意輪堂)は天正18年(1590年)に豊臣秀吉の命で豊臣秀長により再建され、堂内には、秀吉寄進の日本一の大鰐口が設けられています。平成16年(2004年)には、ユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録されました。

補陀洛山寺(別院)
山麓には、別院である補陀洛山寺(ふだらくさんじ)があります。裸形上人がインドから熊野の海岸に漂着した際に開山されたと伝わる古刹です。平安時代から千年に渡り、南海の果てにあると信じられた観音浄土(補陀洛山)に往生しようとする僧が、わずかな食糧を携えて航海に出たといわれ、その様子は「那智参詣曼荼羅」にも描かれています。
ここでは、観音の浄土を目指す「補陀洛渡海」という独特な宗教儀礼が行われていました。渡海に挑んだ僧侶たちは小舟に乗り、僅かな食糧を携えて沖へ流され、生きながら極楽浄土へ旅立つことを目指したのです。歴史上には数十回もの渡海が記録され、その様子は「那智参詣曼荼羅」にも描かれています。


近世になると、渡海の習慣はなくなりましたが、境内裏山にはかつて渡海した僧侶たちの墓碑が残り、当時の渡海木札や船材も現存しており、歴史の息づかいを感じることができます。
青岸渡寺の熊野修験
熊野修験
熊野修験は、自然崇拝と神道・仏教が融合して生まれた修験道であり、山伏と呼ばれる修行者たちは、参詣者を導きながら山中での厳しい修行を行ってきました。日本各地の「霊山」とされる山々には修験道の修行の場が存在しますが、なかでも熊野三山への信仰は、かつて天皇や貴族たちの参詣によって大いに栄えました。
熊野修験道の修行の道として知られる「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」は、熊野三山と奈良の吉野山を結ぶ熊野古道の中でも、最も険しく難易度の高いルートです。明治時代(1868年~1912年)以降、宗教政策などの影響により、熊野本宮大社から吉野へ向かうこのルートは一時的に衰退しました。

しかし、長年途絶えていたこの伝統は、青岸渡寺の現住職の熱意と努力によって1988年に復活し、再び修行が行われるようになっています。*那智四十八滝は、世界遺産・吉野熊野国立公園内、神域・危険区域につき、通常入れません

熊野の大自然の中で修行を行うことで、参拝者は心身を清め、他者への感謝や思いやりの心を取り戻すことができる、熊野信仰の精神が息づく場となっています。
青岸渡寺の境内には、令和5年(2023年)に「熊野修験那智山行者堂」が再建されました。ここでは、毎月一度(毎月第4土曜日)、特別な護摩供祈祷が厳修されます。
どなたでも参加可能で、神聖な内陣での参拝も含まれており、熊野の深い信仰文化を体感できます。

三山をめぐる祈りの深まり
青岸渡寺を訪れたら、ぜひ熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社とあわせて「熊野三山」を巡ってみてください。自然崇拝の聖地、熊野ならではの祈りの形を体感でき、旅がより深みのあるものとなるでしょう。
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